松本猛(たけし)のブログ「つれづれ日記」。日々の感じたことや考えたことなど、つれづれなるままに綴っていきます。
急なのですが、明日の朝9時ころテレビ朝日の『モーニングバード」の「週刊人物大辞典」のコーナーに出演します。ちひろのドキュメンタリー映画公開にあわせての、テレビ取材です。
じつは、昨日の午前中は同じテーマでNHKの「いっとろっけん」(関東地方のみ放映)の収録でした。本当は、昨日は生番組の予定だったのですが、ダルビッシュがMLBのオールスターゲームに登場するかもしれないというので、野球中継に枠を奪われてしまったのです。結局出なかったのに、残念!NHKの放送は近日中とのことですが、国会中継との関係で日程の確定ができないということです。決まったら、またお知らせします。これは15分ほどのコーナーです。ほとんど生と同じでぼくの部分は編集なしでした。
で、午後は、テレ朝の取材が東京のちひろ美術館でありました。「週刊人物大辞典」というコーナーが何分枠なのかは知りませんが、若い熱心なディレクターは、一時間もビッシリインタビューしてくれました。こんなに喋らせて、編集するのが大変だろうと思いつつも、熱心さに負けて付き合いました。当人も、この取材だけで30分番組が作れます、と言っていましたが、果たしてどう編集して、どのくらい短くなるのか、興味津々です。
生と同じように収録したNHKの番組と、たくさん時間をかけて撮影したテレ朝の番組がどう違うのか、あとで比べようと思っています。
ところで、本題。映画「いわさきちひろ27歳の旅立ち」(監督・海南友子)は今月から日本全国で公開されます。東京では14日から新宿と有楽町。信州では松本がMウィングで16日と8月17~20日。16日はぼくが14時45分からトークを行います。長野はロキシーで28日からです。ぼくは29日の昼過ぎから話す予定です。
よろしかったらどうぞご覧ください。たぶん知らないちひろ像を発見できると思います。
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春爛漫ですね。
安曇野もようやく桜の季節になりました。もっとも我が家のベランダに顔を出す桜は山桜なので、まわりの桜が散った頃、若葉と一緒にのんびりと花を咲かせます。そんな生き方も悪くないと思いつつ、原稿に追われております。
今日は、テレビ放映のお知らせです。 ?4月25日(水)21:00~22:00 NHK BSプレミアム「極上美の饗宴」?希望へ続く道~東山魁夷の東北~に出演します。(再放送:5月1日?(火)16:00~、5月2日(水)8:00~)
椎名誠がナビゲーターで、ぼくは東山魁夷の代表作「道」について、少し話す程度の出演ですが、もしご興味が興味がありまし たらご覧ください。
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と歌うのは安曇野を舞台にした歌、早春賦だった。
3月も下旬というのに、このところ雪の舞う朝が続く安曇野。
それでも日差しが出れば、シジュウカラは春の歌を歌い、コゲラが木をつつき、ツグミの群れが田んぼに姿を表す。庭を歩いていて、枯葉の陰にフキノトウが顔を出しているのを見つけた。
よくよく眺めてみると蕾の中から芽が顔をのぞかせ、ひしめき合っている。おしくらまんじゅうをしながらあたりの様子をうかがっている子どものようだ。
信州ではフキノトウをフキッタマと呼ぶ人がいる。
「おい、フキッタマ、出てきたな」と心のなかで声をかけてみる。
かつて、絵本作家の田島征三が『ふきまんぶく』という素敵な絵本を作った。あの絵本ではこのフキノトウの芽がたくさんの女の子の顔になっていた。
そんなことを思い出しながらも、春の味を楽しみたくなって、今夜はフキッタマのパスタを食べた。
夜空を眺めると三日月の下に金星が輝いていた。
春の香りを味わいながら、同じ月と星が輝いているはずの福島では、フキノトウをたべられないのだと思う。
悲しい春を迎える人々がたくさんいる。
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春は名のみの 風の寒さや ・・・
と歌うのは早春賦だった。
3月も下旬というのに、このところ雪の舞う朝が続く安曇野。
それでも日差しが出れば、シジュウカラは春の歌を歌い、コゲラが木をつつき、ツグミの群れが田んぼに姿を表す。庭を歩いていて、枯葉の陰にフキノトウが顔を出しているのを見つけた。
よくよく眺めてみると蕾の中から芽が顔をのぞかせ、ひしめき合っている。おしくらまんじゅうをしながらあたりの様子をうかがっている子どものようだ。
信州ではフキノトウをフキッタマと呼ぶ人がいる。
「おい、フキッタマ、出てきたな」と心のなかで声をかけてみる。
かつて、絵本作家の田島征三が『ふきまんぶく』という素敵な絵本を作った。あの絵本ではこのフキノトウの芽がたくさんの女の子の顔になっていた。
そんなことを思い出しながらも、春の味を楽しみたくなって、今夜はフキッタマのパスタを食べた。
夜空を眺めると三日月の下に金星が輝いていた。
春の香りを味わいながら、同じ月と星が輝いているはずの福島では、フキノトウをたべられないのだと思う。
悲しい春を迎える人々がたくさんいる。
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明日、3月10日、絵本『ふくしまからきた子』が発売になります。
娘の松本春野とともに福島に取材に行って作った絵本です。放射線量の高い地域の小学校は学校ごと、比較的線量が低い地域へ移転を余儀なくされました。子どもたちは1時間も2時間もかけてスクールバスでそれぞれが、いま住んでいる家から通ってきます。爆発当初、大量の放射線を浴びた子どもたちは、学校に行っても校庭に出て遊ぶことができません。これ以上放射線を浴びる訳にはいかないからです。
遠くへ避難して、転校した子どもたちも、時にはいじめにあうなど、なかなか大変な状況にあるようです。
車で取材をしましたが、原発の近くへ向かうにしたがって、ひと気がなくなり、信号は消え、田畑は荒れはて、やがて検問所に突き当たります。美しい自然はそのままなのに、やりきれない思いが胸に迫ってきました。野良猫になった猫だけが動く車を見つけて近づいてくるのも、やるせないものがありました。
少しばかり取材に行ったからといって、被災した人々や子どもたちの気持ちがわかるなどとはとても言えませんが、出来る範囲で調査をし、想像をふくらませてこの絵本を作りました。この本を読んだ子どもたちが、原発の問題を考えるきっかけになってくれればと思います。
3.11を迎えるにあたって、私たちの社会のあり方をもう一度考えなおさなければと思います。便利さと豊かさだけを求めてきた大量消費社会をこのまま進めると、将来に生きる子どもたちや子孫に大きな禍根を残すように思えてなりません。できることを一歩一歩進めていこうと思います。
3月11日は松本市の松本城公園から出発するサラバ原発デモに参加します。
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2012年もあっという間に10日が過ぎました。去年一年もまたたく間に過ぎていったというのが実感です。何か、毎年、毎年時間が過ぎるのが早くなっているように感じるのですが、これは、今まで生きてきた時間よりも、残りの時間が少なくなってきているからなのでしょうか。
今年も、よろしくお願いします。
正月8日にに、BSフジで絵本作家の村上康成さんの番組がありました。彼と年末に酒を酌み交わしたときに「見てくれ」といわれていた番組でした。村上さんがしばしば通う、沖縄の石垣島の自然を、彼がどう受けとめているかを追った番組でした。珊瑚礁の海にもぐり、数ミリの大きさしかないウミウシの宝石のような美しさに感動し、巨大なエイ、マンタのゆったりとした動きに心を動かし、マングローブの生える岸辺を見つめ、川では魚の姿に心を寄せます。
彼が番組の最後に描いた絵は、わずか数ミリのウミウシ絵でした。その体には石垣島のさまざまな自然が美しくちりばめられて描きこまれていました。小さな生き物が、生きていくためにも、石垣島全体の自然が大切なのだ、と絵が語っているようにぼくには感じられました。そこには一人の画家が見る自然がありました。
番組の中で、彼は「石のきもち」という絵本の話しもしました。自分は今まで動くものを主人公に絵本を描いてきた。でも、ずっと動かない石を主人公にしてみたというのです。はるか太古の昔から、石の上を数限りないものが通りすぎてゆきました。石はそれを見ているのです。
我が家の近くの石を眺めてみると、石にもそれぞれに個性があり表情があることに気がつきました。村上康成さんの話を聞かなければ、石をこんな風に身近に感じなかったかもしれません。
石の気持ちになるということは、ひょっとすると宇宙から地球を見ることと似ているのかもしれないと思います。あるいは気が遠くなるような歴史の長い流れのなかから、今という時代を見るようにも感じます。
現代という時代を見るには、石の気持ちになってみるのも大切かもしれません。何が大切なのか、おおきな視点を持って、今年を生きてみようと思います。
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激動の2011年が終わろうとしています。
3.11はぼくにとって今まで生き方を問い直させる大きな出来事でした。とくに原発の問題は、人間の文明というものについて、深く考えさせるきっかけになりました。
ぼく自身、電力というものに対しての意識が薄らいでいたことを思い知らされたました。どこかで空気や水のように、いつでもそこにあるものというように思いこんでいました。電気を享受するということも、人間が生活するということも、実は自然と深くかかわっています。
アメリカの先住民の言い伝えのなかに「7代先を考えて判断せよ」という言葉があります。一本の木を切るにも、200年から300年先のことを考えて判断しろということです。
私たちは、湯水のごとく電気を消費してきましたが、原発は処理不可能な放射性廃棄物を吐き出し続け、火力発電もCO2を排出し続けています。現代人の多くは、ぼくも含めて未来の地球に対して無責任でありすぎたと思います。
夏に、信州自遊塾を立ち上げ、人間と自然の問題を考えたいと思ったのは、まさにぼく自身のこの問題に対する反省があったからです。たくさんの人々の賛同があって、すでに3回のイベントを開催することができました。エネルギーについて、自然について、人間の生き方について語り合う場を、来年もしっかり継続して行きたいと思います。もし、参加したいという方がいらっしゃれば、HPから自遊塾HPへ入れますので、そこからご入会ください。
来年、2月には『ふくしまからきた子』という絵本を岩崎書店から出版します。子どもたちに原発という問題について考えてもらいたいということから、東京でイラストレーターをしている娘、松本春野と企画を立て、いっしょに作りました。やっと、原稿を入稿したところです。原発事故はは自然を破壊し、生活を破壊しただけではなく、人の心をも傷つけています。この絵本は原発事故にあった一人の女の子の心を見つめた本です。
いま、空気や水という普段意識してこなかったものが、地球という自然が奇跡のように生み出した宝物だったということをしみじみ感じています。人間が、自然によって生かされているということを意識しなくなるということは、地球に対する冒涜でしょう。
2012年は、地球を、自然を、人の生き方を、しっかり考えていこうと思います。来年もよろしくお願いします。
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山が白くなると、今年も終わりに近づいたと思う。
薪の燃える炎を眺め、はぜる音を聞いていると心が無になって、古からの時の流れのなかに身を置くことができるように感じる。縄文の人々にとっては、冬を生き延びるためには炎がなくてはならなかった。
昨日、今日と奥蓼科の明治温泉へ出かけた。信州自遊塾の小旅行講座「カラマツストーブを囲んで信州の森を想う」に参加するためだ。標高千数百メートルの明治温泉では、今朝、車の窓に氷が張り付いていた。
講師である諏訪自然塾の塾長、清水馨さんは、野生植物のエキスパートであると同時にカラマツストーブ普及LLPの代表でもあり、縄文時代にも、大変詳しい人である。
清水さんは標高1200メートルあたりにも、縄文の遺跡があることを教えてくれた。縄文人がいのししを獲るための落とし穴もあった。同じエリアにある白井出集落はたくさんの湧水があるところで、現在、日本の集落の中でもっとも高い地域にある集落なのだそうだ。ノルウェーに行ったときも感じたけれど、人はどうしてこんなにきびしい環境の中にも、集落を作るのだろう。冬の寒さは大敵であっても、まったく涸れることのない湧き水があることや、狩猟の条件が整っていることのほうが大切だと判断した人々がいたにちがいない。
この地域にはダム計画があった。清水さんらが中心になって進めた反対運動の結果、ダムは中止になり、40ヘクタールに及ぶ計画跡地は、いま、自然林が生まれ始めている。カラマツ林が伐採された後10年以上放置されたその地には、130種以上の植物が姿を現しているという。この自然林を大切にしようと、諏訪自然塾の人々は考えている。現代において、人が手を加えない森があらたに生まれるということは稀有なことだ。子どもたちが、自然を学ぶ場にこの自然林がなることを願わずにはいられない。
カラマツストーブを囲んで、清水さんの話をうかがったが、このカラマツストーブは大変優れもので、間伐材を使って、こんなにあたたかく、扱いやすいストーブがあるのかと、あらためて感心した。(詳しく知りたい方はこちらをご覧ください。http://karamatsu-stove.jp/)
どうも、われわれは便利さを求めるあまり、スイッチ一つで温まるものを求め続けてしまったようだ。木を扱い、炎の力を感じることによって、自然とともに生きる人間の感覚が目覚める喜びを感じた。
明日は早起きをして林の中をゆっくり歩いてみたい。夜更かしをせずに、夜明けとともに目覚めるような生活に切り替えようか。
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